女子割礼についての研究者の見解
引き続き大塚本を要約する。
まず確認しなければならないのは、女子割礼実践者が語る理由付けはしばしば食い違いが生じているので、そのまま受けとることはできないということだ。”性欲減退”や”処女性”、”強姦抑制”などは、いかにもフェミニストが飛びつきそうな女性差別言説であり、習慣だとしか考えたことがないインタビュイーが、うざいインタビュアーを納得させるためにその場ででっち上げられた可能性がしばしばある。
ヒックス『陰部封鎖・改訂版』
- Hicks, Esther K., 1996, Infibulation: Female Mutilation in Islamic Northern Africa (Reviced Edition). Transaction,
ヒックスによれば、陰部封鎖慣行についての信頼できる民族誌は北東アフリカのムスリム世界にほぼ限定されている。おそらくその起源は、ファラオ型やスンナ型といった言葉から想像されるような、エジプト起源やイスラーム起源ではなく、東南エチオピアの遊牧民(ベジャ、ソマリ、ガラ、アファールなど)で、16-17世紀の交易ルートの発展が近隣農耕民に影響を与え、イスラームと陰部封鎖の普及に貢献したという仮説である。
さらに陰部封鎖を伝統とする社会の制度を変数として統計的に処理したところ、陰部封鎖は以下の制度と関係が深い
- 妻は夫方に帰属せず、出自親族集団に帰属する
- 男性は放牧、出稼ぎなどで家族から離れることが多い
- 離婚が頻発し、結婚が不安定である
- 女性の法的地位が低い
- 妻がヤギや羊を飼育し、その責任も追う
- 夫側から妻側に支払われる婚資が高額
- イスラーム信仰
- 平行従兄弟婚には積極的ではないが、族外婚とは負の相関
※註 番号に重み付けがあるかは不明である。
このような社会で、女性の権力向上は出産によって子供を設け、さらには祖母の地位になることと関連する。結婚は陰部封鎖(処女性)と密接に関係するので、祖母は自分の娘や孫娘の将来のために慣行を継続しようとする。
ボディによる解釈
- Boddy, Janice, 1989, Wombs and Alien Spirits: Women, Men, and Zar Cult in Northern Sudan. The University of Wisconsin Press p.51.
- Boddy, Janice, 1982, Womb as Oasis: the Symbolic Context of Pharaonic Circumcision in Rural Northern Sudan, American Ethnologist 9-4, pp.682-698
ボディは情報提供者からきいた、ファラオ型割礼は「女性を清浄で、清潔で、滑らかにするためのもの」という言葉を参考にホフリヤト村でそれに該当するものを検討した。その結果、妊娠のための呪物(ダチョウの卵、ひょうたん)が丸く、滑らかで、白っぽい(=清浄である)ものであること、(略)、身体の孔穴はできるだけないほうが危険を避けるためにはよいとされていること、といった関連性から、ファラオ型割礼を出産を安全に行うためのものだと結論づけた。ただしボディと真反対の「出産能力の減退」を導いた研究がある(Hayes 1975)。
フードファルの見解
- Hoodfar, Homa, 1997, Between Marriage and the Market: Initimate Politics and Survival in Cairo, University of California Press, pp.256-263
フェミニストの文献を読むことによって得た私の期待とは裏腹に、〔カイロの〕女性達はしばしば自分たちの割礼経験を一緒に分かち合い、自分たちが受けたショックや苦痛を快活に語るのであった。ある意味では、女性が共有するこの経験は、女性らしさの世界への通過儀礼なのであった。……私の観察所見、ならびに割礼を受けた女性達とのたくさんの話し合いは、このトピックについて、私がイギリスで聞いたり読んだりしたほとんどあらゆるものと矛盾するものであった。読書を通したりフェミニスト集会に出席したりして育まれた印象にもかかわらず、私は男性が女性割礼に関してはほんのわずかな直接的な役割しか演じていないことを知った。さらに、女性たちの躊躇するところのない、開けっぴろげな性的快楽に関する話し方は、割礼を受けた女性は性的な感心や感情を喪失するという〔フェミニスト文献〕一般的な前提とも矛盾するものである。