内田亮子「生命をつなぐ進化の不思議ー生物人類学への招待』

学会大会の口頭発表用アブストラクト集を読まされた気分。一冊の本として、はっきり言って不勉強なままか、むしろ何も考えずに書かれたと思えるほどのお粗末さである。新竹内久美子とまでは行かないまでも、明白な指針があるわけでもなくだらだらと、項目ごとにいくつかの引用があって終わり。たまに内田氏の仮説やら首をかしげるような感想が挿入されるというスタイルで、章全体で何を言いたいのか、本全体で何を言いたいのかさっぱり分からない。

しかも不思議なことに霊長類、民族学についての引用が少ない。代りにあるのは行動生態学なり、生理学的な研究である。確かに人間は生物であり、その生理機能を調べ、系統比較することの重要性はわかる。しかし科学的に人類学研究をするというのなら、ネズミやゾウの研究よりも、民族学的な研究や系統的に近い霊長類の具体的な行動・生態についての情報を提示した上で、その背景にある生理なり、進化的な側面からの研究があげられるべきだろう。

不勉強だと思われる事例をいくつか挙げよう。どうやら著者は、民族学データは量的な分析が行われていないから科学的な研究ではなく、比較研究ができないとして引用を避けているようだが、生態人類学・経済人類学・医療人類学などのジャンルにおいて量的研究はいくらでも発見できる。もちろん一般向けに書かれた本では量的な記述は少ないが。また、ヒトの二足歩行の進化において、内田氏は自前の仮説を提唱しているが、ヒトを含めた大型類人猿ヒトの祖先はオラウータン型であり、オラウータンも樹上において二足歩行の頻度が高い。このことと化石人骨を考えると、そもそも祖先種の移動形式はチンパンジーやゴリラのナックルウォークと比較されるようなものではないことがわかる。オラウータンのフランジ・アンフランジを発見した人物が何故そこに思考がまわらないのだろうか?また女性割礼は、寡婦などの重要な収入源であったり、社会参加の場であるという議論があるが、一切無視している。

正直、著者はちょっとお勉強して計測したら論文が書けるからヒトを調査対象にしているのではないのかと思ってしまう位、人類学の本として異色の仕上がりである。

買わなきゃよかったと後悔している。

生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)

生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)