SBMは目録のようなもの

ソーシャルブックマークを図書館の蔵書に勝手に貼り付けられた付箋のようなもの、という比喩は面白いけど、図書館業務をした経験から言わせて貰うと実態にまったくそぐわない。

返却された本に付箋が貼ってあることが分かれば外すし、利用者にもその協力を求めることはよくしたものだった。また本の中に下線やらメモが書かれていたらなるべく消すように努力していた。

なぜ付箋や下線を除去するのかと言えば、それらは本の加工であるからに他ならない。著者や出版社の思惑を越えた加工は、他の利用者にとって基本的に迷惑であると考えるからだ。もちろん有意義な付箋や下線が存在することは確かである。しかし加工は図書を消耗させ、原則的に利用者にとって不利益であり、付箋や下線の除去は妥当であろうとされていた。

ではソーシャルブックマークは図書館の仕組みにおいて何と比較されるべきなのだろうか。

私が考えるところでは、それは目録であろうと考えている。図書館の本は全て、書誌情報と所在によって整理された目録によって、その位置が確認できる。そして何より大切なのは、それが書籍そのものに刻印されているわけではなく、外部に別個の形態で存在していることであり、著作者の意図とは独立に存在していることであろう。

ソーシャルブックマークも、ブックマークされたエントリーとは独自のエントリーとして分類目録を形成する。そこに引用されたり、何らかのコメントがつくというのは確かに独自の機能ではあるものの、著作物そのものを加工するわけではない。リンクによって、元のエントリーとブックマークの関係性が明らかになるだけである。

もし、無断リンクを拒否したいのならば、町内会住民の電話帳への記載は各自の許可がいることとの類似性の方が良かったであろう。もっともプライバシーである電話番号や個人名とパブリックな環境に置かれた公共物として存在する、ウェブサイトのエントリーを同一視することは出来るのかという問題は未解決のママであるが。