女性性についてのディスコミュニケーション

先日から引用している大塚和夫の議論の中に、人類学者とFGM廃絶論のディスコミュニケーションの原因の一つに、後者が女性性を自文化中心主義的な普遍主義な上に、本質主義的にとらえているからではないかという指摘がある。

これは別に教育をすれば性自認はいくらでも変更可能であって、生物的に普遍的な女性性は存在しないという意味ではなくて、文献や実際の経験から、確かに自文化と異なる女性性と出会っている人類学者とそうでない人々という経験からくる話だろう。

問題になっている女性性器にまつわる生活、つまりセックスのあり方について我々はどれだけ他の人のことを知っているだろうか。実際のところ自文化のセックスについてすら、しばしば共通理解が怪しいというのに。

よその文化のセックスというのは本当に分かりにくいものなのだ。

そんなわけで、セックスに限らず人間が作り出した性生活について、(さすがに網羅こそしていないが)大雑把ながらにつかめて、かつお気楽に読めそうな本を何冊か紹介したい。

性と出会う―人類学者の見る、聞く、語る

性と出会う―人類学者の見る、聞く、語る

もとになったのは1994年『現代』で行われた座談会で、声をかけた女性研究者に逃げられたせいもあり*1、男性人類学者ばかりが猥談しているようにしか読めないという変な本である。編集の方針として経験主義をかかげ、その分難解な解析はほとんどしていない。そんなわけで内容の信憑性は「男性同士の猥談」から得られる情報の確からしさと、女性が自分の性について異性に語るのかは文化によって違うということを念頭に置いておかないと、変な理解になるだろう。後書きによると、この座談会が延々のった『現代』は見事完売したということなので、雑誌で読んだことがある人もいるかもしれない。体位や前戯、性器改変、性感など様々な分野を語っている。

もう一冊は最近出た

セックスの人類学 (シリーズ来たるべき人類学)

セックスの人類学 (シリーズ来たるべき人類学)

前者に比べて、鯨類の性についても目が向けられているのが一番の特徴か。編集者の一人奥野は、ブログでも情報を小出しにしている。この人の論文が読んでいて一番しんどかった。その理由はリンク先の写真が雄弁に語る

なお私がこの二冊の中でもっとも気に入っているエピソードは、小陰唇を人工的に肥大化させる文化があり、女性同士の喧嘩で相手を「あんたのあそこは何て小さいんだい」と罵倒するというエピソードである。格好良すぎる。

*1:スケジュールがあわなかったらしい