女子割礼についての雑感

女子割礼を慣習としてもつ人たちと個人的な繋がりがないので人格的に対立する契機が全くなく、野蛮な風習かどうか私が判断するものではないので、当面は湖中真哉氏と同じ立場でいようと思っている。

まぁそんな決意表明なんぞしても意味はないので、数年前のアフリカ学会の女性フォーラム*1で聞いた話やケニアの女子割礼についての民族誌をウェブ上で参照できるようにしておこうと思う。ちゃんと考えて資料を探さない限り、FGM廃絶派の議論、多様な女子割礼実践を単一の悪習とする記述ばかり見つかることが多いので、実情がわからなくなっている。そこら辺を是正したい。

誰が報告者だったのか忘れてしまったのでどの地域なのか曖昧だが、女子割礼は例えば寡婦の仕事であり、それを元に生活が営まれているという報告だった。もちろんその社会の中で女子割礼は大切なものと位置づけられているので、FGMを廃絶するにはまずは、衛生的で安全な代替案、さらには寡婦に対するセイフティーネットを用意しなくては受け入れてもらえないだろうという話のようだった気がする。

気がする。曖昧な話なので二度書きました。

まぁ私にとって衝撃的だったのは、実際のところFGMよりむちゃくちゃな悪習、寡婦になると誰とでも寝ないといけないというとんでもない悪習があり、やけになったHIV患者がレイプにくるので、それによってHIVが蔓延している地域があるという話だった。

詳しく知りたい人は、『寡婦をめぐる習慣とエイズ──ケニア・ルオ社会 文・写真 椎野若菜』民博通信 2006 No.113 民博通信表紙特集 寡婦の現在(いま)を読んでもらうとして、ここで大切なのは、後者の悪習に関しては現地の人間もやめようという動きがあることだ。もちろんそういう動きの背景には、フェミーのNGOや国連の人たちやらが動きだしたからということもあるけれども、文化というのは固定的なものではなくて、様々な契機を利用して変わりうるということだ。

別にFGMを行っている地域の人間だって、頭が固いわけではない。

buyobuyo あんなものイスラムの伝統と関係ないトンデモなんだからそんな物分りのいい顔をする必要などない

はてなブックマーク - ちょっと待って、「女性器切除」の話題! - キリンが逆立ちしたピアス

なんというか、いくらなんでもこのコメントはFGMまわりにコミットしようとしている人間の吐く台詞ではない。現地の人々はもはや「イスラーム」の名で女子割礼を取りしきっているわけではない。≪我々の≫文化だから行うという語りに変わっている。

そこら辺の情報を把握している人間はどうも少ないらしいので、松田素二の『日常人類学宣言!生活世界の深層へ/から』から女子割礼の記述を引用してみる。

ケニアの)キクユにおける女子割礼は、クリトリスの先端を切除するタイプのものであった。もっとも植民地化以前は、クリトリス切除だけでなく周囲の生殖器の一部も切り取っていた
複数化する間身体 pp270日常人類学宣言!―生活世界の深層へ/から―

ケニアでは1980年代後半に、公的には16歳以下の少女に対する女子割礼は禁じられている*2.

しかし事態を深刻にさせたのはこの、禁令の公布以降である。都市底辺層によって構成されたキクユ人のセクト”ムンギギ”が、近代化するケニア内での周辺化に抗う形で称揚したアフリカ社会の伝統的身体とアイデンティティの中に、女子割礼が含まれていたのだ。ムンギギは近代化=”西洋化”に対決するためにアフリカ的な身体加工を正当化し、女子割礼を強制実施した。

もしここでアフリカ的身体vs医学的な身体という構図を与えてしまっては、ムンギギとの対話は不可能だろう。彼らは多文化主義や文化的アパルトヘイトとも言うべき論理で、無秩序に流入するグローバルな論理と抗っているのだ。もし医学的普遍主義を押し通せば、当然彼らは抵抗する。

さて先に、女子割礼はイスラームの名で執り行われていないという話をした。ムンギギの場合、2000年ムンギギ最高指導者13名がモンバサのモスクに訪れ、イスラームへ改宗し、女子割礼への迫害はムスリムへの迫害だと表明したのだ。実はキクユ人の多くはキリスト教徒で、多くの場合女子割礼はキリスト教徒でありながら、平行して行われてきたものだったのだ*3

昔の話はCiNii -  ケニヤ独立運動に関する一考察 : キリスト教ミッションとキクユ族の「女子割礼」をめぐる対立についてを読んでもらうとして、2000年以降ムンギギがどうしていたのかが問題である。実は、彼らは相変わらずキリスト教会に通い、ケニア山信仰の儀礼を継続し続けた。

つまり彼らにとって外来の宗教は仮初めであっても、女子割礼はなくせないものとして存続しつづけているのである。また、キクユの人間にとって女子割礼を経て大人の女性として扱われること自体がセイフティーネットとして機能している側面がある。

もしFGM廃止論者が女性を救おうとするのならば、彼らを追い詰め先鋭化させる論に立たないことが大切だ。最初に引用した箇所から分かるように”禁じられる以前に、割礼の内実がより安全な形に変貌する”ということもある。

対立が鮮明になっている以上、普遍的な意味を受け入れてもらうことは不可能に近い。対立が鮮明化し、もはや医学的な言説ですら普遍的な語りではなく、対立する勢力の暴力的な語りとしてしか伝わらず、もし言葉が通じるとしたら、彼らの文化的な論理の中に女子割礼が必要ではないという言説を浮かび上がらせることしかないのだ。

*1:多分「FGM/女子割礼」2004年5月日本アフリカ学会学術大会女性フォーラムin中部大学だと思うが

*2:年長者はしてもよい

*3:イスラム内部ではムンギギ批判派と受け入れ派に分かれている。また9.11以降、欧米社会がイスラーム排除に動くとムンギギはイスラームへの同調を控えている。