山下先生への質問改訂版

 id:contractioさん、コメントありがとうございます。
 オートポイエーシスの世界はしばらく届きそうにないので*1、図書館から借りてきました。平易で読みやすいのでルーマンオートポイエーシスを捨てたくなりますね。

 さて山下先生はオートポイエーシスシステムの定式化において

  1. 構成素の産出が基礎づけ関係によて連鎖している状態
  2. 構成素の産出プロセスの継続している状態

を分ける立場をとり、異なる位相で同時に進行しているものとされています。
これ自体は特に疑問もないのですが、酒井さんへの回答においてルーマンで言う「コミュニケーションがコミュニケーションを産出する」と言われている時点と、その例についての普遍化として構成素の産出が基礎づけ関係によって連鎖しているだけで、まだ産出プロセスのネットワーク状連鎖が閉域を形成していない時点を例にされ、また著作の注15(p245)でルーマンの社会システムから以下の箇所を引いています

「それからシステム自身がなる構成素を、機能単位として、自ら構成し、これら構成素の間の一切の関係において、この自己構成への指示を併走させ、このような仕方で自己構成をしたがって絶えず再生産するようなシステムを、自己言及的と名付けることが出来る。」(邦訳p59)

オートポイエーシスの世界

山下先生はもしかして絶えず再生産を読み落としていませんか?

「コミュニケーションがコミュニケーションを」という例では、基礎付け関係による産出は1回で、連鎖している例ではありませんし再生産も起きていません。
もし自己産出が連鎖する例に置き換えたら、当然「コミュニケーション^3,4,5or〜」という閉系における作動になり、要素も、過程も、当然システムとしても同一性のある、河本=山下的自己言及が成立しているはずなのですが。


ところで、書いていて自分の説明能力不足に気づきました。一元論を称して妙なことを書いていたら、モニュリ過ぎとでも罵倒して下さい。

*1:同時にポチッた本のせいで一ヶ月待ちです