ジェンフリとフェミとアンチ

フェミという言い方だとどうもアンチフェミニズムっぽくていいよね。
後日前面書き換え予定
いきなり余談だが、ジェンダーフリーはリンクフリーと同じく自由にジェンダーを構築することが出来るという思想です。とかいう冗談はともかくぱっと見ジェンダーについて廃止を宣言しているのかなという気もするが*1、政治運動とか思想としてのジェンダーフリーは興味がなかったこともありよく知らないし、本を借りるのもメンドクサイので誰かいいサイトを教えてはてなdia(ry。まぁ上野千鶴子氏によるとあんまりアカデミズム的な用語じゃないと言ってるので*2、話者によって意味が違う適当な語なんだろうけど
さて本題。私自身はどっちかというと科学主義とか遺伝子決定論の方が素養としては有るつもりで、あまりガチガチのフェミニストでもジェンフリ論者でもないという前提で読んで貰いたいのだが、最近のアンチフェミニズムの動きは目に余るというか、脳内ヴァーチャルフェミ*3徒手格闘してる気がするのでこんなエントリーを書くことにした。
で、最近のオサレ系アンチフェミのブームは身体(性)*4らしい。ぶっちゃけ私もこの用語大好きである。何かかっこいいし。カラダとか体躯ではいまいちで、やはりシンタイでなくてはならない。そんでオサレ系に言わせるとフェミは身体性をないがしろにしているという話になる。さて、確かにフェミニストは身体について詳しいとは言い難い。なにしろ一人一人は個別であるから、身体的な言及をするのは難しいという立場である。では誰が詳しいのか、という話が本来来るはずである。しかし身の振り方というのは社会における身体の扱いの問題であって、身体だけ知っていればいいと言うものでもない。密接すぎてどこまでが遺伝的な身体といえるのかというのも、身体が生まれと育ちで分けられるという言い方もナンセンスだ。ということで伝統的な知はあくまで参照に留めておくべきであり、回帰するのだとイキミあがっても仕方ないのである。なお、生物屋から見ても各人の身体性を性によって分けるという言い方は難しい。遺伝も違うし発生も違うのだから、己の身体を知ることが出来るのはやはり自分しかいないし、自分でも分からないことが多いだろう。
しかし伝統社会にはそれぞれの性に精通する人がいて、その伝達が行われていたという意見も聞くが、正直それはあまりに単純化した妄想だろう。生活史の有り様はどんな狩猟採集社会であっても時に大きく変動するし、プリミティブな身体知の達人が常に生きているとは限らない。そのときに応じて新しい知識が加われば、それに応じて変更が加えられたはずである。そしてその過度期(いつまでかかるのか知らないが)において調子が出ない人が出てくるのも当然だろう。だいたいカリカチュアさせていただければ、ナチュラルな伝統世界というのは以下のような物である。

どっかの世界

権謀渦巻く泥沼の不倫社会で、女性はバコバコ子供を産むけど死産や流産は当たり前で、なおかつ子供もズンズカ死んでいく。稼ぎぶちが少なければ捨てるのもありで、もしくは裕福な人間の感情と養子という制度*5を利用し郭公の托卵ごとく押しつける。もう少し制度が整えられると頭数をより積極的に調整しだす。例えば男女比が実数1:1とか。産む前におろすこともあるよ。あと男共は隙あらばさぼろうとする。基本的に女が労働の担い手のような…。*6

なぜこのような社会から今の先進諸国のような社会*7となったかと言えば、医療技術の進歩によって健康の定義がかなり変わったからである。死ぬのが当たり前の社会から異常が容易に認識される社会への転換とも、逆説的だが病気を増やすことによって健康が増進されたという言い方でもいいかもしれない。そういう時に、以前の社会で生まれた、社会と身体についての対処法である伝統知をあたかも特効薬のように扱うのは明らかにおかしい話だ。もちろんその中に今でも有効な知は無いということにはならない。むしろ二世代以上前の知識となると誰も知らないので、自然と回帰しているかもしれないぐらいである。私が問題視するのは、伝統知を叫ぶ人間が比較的簡単に知ることが出来る二世代以前の情報にほとんどアクセスすることなく、却下されたばかりの知識を後生大事にしようとする姿勢だ。
これまでの伝統社会はその権力構造の中で生きられる身体のみが蓄積されてきたと言えるかもしれない。しかしその権力構造が大きく変貌を遂げるときに、以前の身体にのみ依存する必要なないのではないだろうか。今求められているのは性という染色体に依存した二分法に基づく知ではなく、各人の成長の過程でできあがった総合的な意味での生物的な身体に関する知と、それぞれが体と社会と付き合っていくための知両方のハズだ。そういった意味で身体論の本質は(過去の)身体の復権ではなく、現在的な身体の再定義ではないだろうか。

*1:まぁ「このサイトはリンクフリーです。リンクするときはあらかじめ連絡して下さい。」という古典的ジョークも文法的に正しいのだな。

*2:アカデミズムな用語が必ずしも統一的な見解を持つとは限らないが

*3:まぁつまり仮想現実的というわけで、仮想っぽいよなぁと言いつつ実はリアルにいるということなのだが。たまにそういうフェミニズム論者の言質を見たりする。大切なのはヴァーチャルフェミと現実で合うことはないのだな。ネットゲームのプレイヤーというのが近いかもしれん

*4:この後に復権と続くことが多いか?

*5:子守行動は制度がなくてもありうるか。制度はなくてもいいかも

*6:一応中世的な社会を想定しているけど、いまでもよくありがちな話だ

*7:内実に関してはノーコメントで。変わってないところもあるし