中村 美知夫 チンパンジー―ことばのない彼らが語ること (中公新書)

著者の中村は社会生態学全盛の霊長類研究において、社会の学としての霊長類学という集会を開いて、非還元論的アプローチの可能性を称揚するくらい、珍しいチンパンジー研究者である。(参考:執筆文章)。チンパンジーの文化研究をする中村は別の論文において、チンパンジーに見られる対角毛づくろいという行動の地域差を説明した後、

こういった現象を素直に認めるならば,生存に直結するレベルにおいてすら,社会というものが存在しないむき出しの「個体」というものを考えることはできないことになる。しかし,現在の生物学のパラダイムの中では,生物個体の行動は,社会行動も含めて,究極的には 遺伝子に還元される。そこでは,霊長類の社会を説明す る際にも,食物獲得,捕食者回避,繁殖の3つの基本的 要求を満たそうとする個体たちの戦略のアウトカムとし て社会構造が説明される(たとえば van Schaik and van Hooff, 1983)。そして,「遺伝的および生態学的要因」→「個体の行動」→「個体間の関係」→「社会(構造) 」という形で下部構造が上部構造を規定 15) することになる。 しかし上で見たように,どの社会に生まれるかによって 個体の行動に違いがあるとすれば,このような一方向的な因果関係はもはや成立しない。つまり行動や社会を単純な因果関係で説明することは本来できないのだ。

霊長類学と生態人類学 ━「進化」は二つを繋ぐのか ━

(強調は私)

と語り、動物の社会研究においても非還元論的アプローチを採用する必要性を説いてきた。このスタンスは今西錦司の『生物の世界』を彷彿させる。どうも意図的に新著の中では今西の歴史的意義で止めているが、アプローチからして今西と肉薄しているのではないだろうか。

なお中村は社会生態学マルクスじみた用語で説明してるが、マルクスはもう一段階、心理が反射として生産関係に参入する旨を述べている。これを今西的な生物全体社会論に差し戻すのなら、種間関係を社会生態学のように特権的な規程要素としての環境ではなく、より密接な社会関係にあるものとして記述するための方法論の開発に力を入れる方がおもしろいだろう。もっとも、会話分析のようなやり方で生態系を記述しなおすのは、相当骨の折りそうな仕事になるのだろうが。

新書そのもののテーマは、科学者の間にさえも未だに根強い人間中心主義を批判し、対等な同時代の生物としてのチンパンジーの社会と文化を見つめること、を発表済みの論文を元に組み上げたかんじなのでわかりやすく楽しめた。

しかし中村は欧米人研究者の人間中心主義的な思い込みを批判しているが、黒田末寿が共感法を擁護するために最初、思い込みは重要な役割をはたすが、見続けることによってその役割は低下していくのだと書いていたのを思い出した。もしかしたら欧米の研究者も、人間中心主義的な思い込みから、データの充実によって、同じ高さの目線を獲得することがあるのかもしれない。例えばサルとすし職人でドゥ・ヴァールが今西に近づく予感をさせたように。

チンパンジー―ことばのない彼らが語ること (中公新書)

チンパンジー―ことばのない彼らが語ること (中公新書)