クジラは誰のものか

クジラは誰のものか (ちくま新書)

クジラは誰のものか (ちくま新書)

著者の秋道は、クジラは人類の歴史の中において、他の生物と同じく、ただ食べ物として・消費物としてあるのではなく、様々な形で関わりを持ってきたことを指摘する。その立場から、資源の保護という見地から一定の理解を示しながらも、反捕鯨的な立場を示す国々の矛盾した態度に対し異議を唱える。
矛盾した態度というのは、

  • 先住民生存捕鯨を認める姿勢の差別的態度
  • 先住民の捕鯨商業捕鯨との恣意的な線引き
  • 動物愛護を主張しながらも、移入種のディンゴへの不可解な虐待や、増えすぎたカンガルーに対する場当たり的な政策
  • 生物多様性のための保護を訴えながら、スーパーホエール*1を生みだし生物多様性理解を阻害していること

もちろん調査捕鯨が抱える欺瞞、海水汚染による鯨類への重金属の蓄積被害を反省することも忘れない。

大筋理解できるし、共感する見解なのだが少し苦言を呈したい。クジラを捕鯨することの生態学的意義について、若干捕鯨側に甘い予測を元にしている。
まず生態学的に、捕食者が減少しても被食者が増加すると言うことはあまり考えられない。生物の個体数の増減は食べ物の量に依存する。つまり捕食者という生物学的地位の個体を減らす場合、同じ生物学的地位の種としてヒトが、クジラの餌であった分の海産資源を利用できる可能性は当然あるが、別種のクジラや肉食魚の個体数が増えるだけであったりする可能性も高いのである。
こういった生態学的な常識は、高校の生物レベルでは教わらないどころか、逆に捕食者を減らせば被食者が増えるという嘘に近い形で人口に膾炙している。やはり科学的に分かっている範囲については、誠実な説明を行わなければ、反捕鯨主義者の理解を得られないのではないだろうか。

*1:個々の種がそれぞれもつ、賢い、道具使用、セラピーに関与する、絶滅危惧といった保護運動に対してプラスになるような事柄を”スーパーホエール”という幻想の生物種一種が持っているかのような言説のこと。もともとKALLAND.A(1993)の学説