在日への偏見
日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた日本は,「産米増殖計画」(1920〜34年)といって植民地である朝鮮半島から大量の米を収奪しました。日中戦争がはじまると,米だけでなく水や地下資源,労働力など,さらに収奪は激しくなっていきました。それによって朝鮮の民衆は貧しくなり,職をうしなう人が続出したわけです。はじめに,そういう人たちが大量に職を求めて日本にやってきました。
そして1939年には,日中戦争の泥沼化や太平洋戦争突入による労働力不足のために,いわゆる「強制連行」がはじまりました。終戦までに「強制連行」で日本につれられてきた人の数は,のべ60万人にものぼります。
http://www.han.org/a/faq/faq001.html
私が読んだ本では、本土で十分な米を生産していたときも朝鮮総督府が増収のために、本国の指示を退け、独自の判断で半島産の米を押しつけてきたために、米の価格が暴落したとあったのだが。*1
それはともかく、慢性的な食糧不足が日清戦争(1894)からずっと続いていたのかよとか、日露戦争(1904)でも第一次(1914)でもないのかという中学生レベルの突っ込みが最初に思いつきました。ちなみに日韓併合条約は1910年ですね。
ちなみに資本輸出と植民地支配によると、産米増殖計画は第一次世界大戦時の戦争特需を見越した米問屋による買い占めや売りしぶりが原因の米騒動(1914)が原因です。流入具合をみると、合併後かなり半島から人がいなくなった様子がうかがえますが、1917当たりから急増しています。何があったのでしょうか。
朝鮮からの人口流失
年 | 日本へ | 中国へ | |
---|---|---|---|
1914 | 4,179 | 10,631 | |
1915 | 5,046 | 13,281 | |
1916 | 7,225 | 13,501 | |
1917 | 17,463 | 18,911 | |
1918 | 27,640 | 36,627 | |
1919 | 35,975 | 44,344 | |
1920 | 40,759 | 22,210 | |
合計 | 138.287 | 159505 |
さて、戦後60万人の在日がいたのだけれど、半島に対して徴用(一般に強制連行)が行われた昭和19年(1944)の在日人口はともかく、1935年の統計で既に62万いたそうなので、いわゆる「強制連行」できたというのはおかしな話です。
ちょっと史料にあたるだけでぼろがでるので、在日コリアンの人は強制連行に関して触れない方がよいと思います。在日コリアンF&Qはいいコンテンツなのにもったいないです。
*1:図書館で読んだ記憶なので本のタイトルまでは覚えていない