案外(大)昔はよかったかもしれない
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上記のような議論を読んでいて思うのだが、熱帯雨林の狩猟採集民や焼畑農耕民の労働量ってトンでもないなぁと思う。なにせ1日の労働時間は2〜3時間だ。それで生活が可能というのはある意味非常に幸福なことだろう*1。先進国、特に日本の住居不定者でもその活動レベルでの生活は困難だ。
もちろん幼児死亡率が高いとか、医療技術の水準が低いために長生きできる人間が少ないとか、肉を食べる機会が少ないとか負の側面もある。狩猟採集民が農耕民と独立に現在の生計活動が可能かについては議論が分かれているし、焼畑農耕にしても鉄器の鋭利さなしに成立しないので鉄器の起源はいつかと考えると、純粋に1万年前の農耕の起源から幸福な短時間労働の世界であるとする必然性はない。しかし少なく見積もっても1000年程度は継続している持続可能な経済活動の形とは言えないだろうか*2。
さて焼畑農耕民も狩猟採集民も平等性が高いことで知られている。一般に呪いなどの迷信が社会における再分配を促すので、平等が成立していると考えられてきた。しかしクズネッツ曲線*3のような、案外単純に構成員の所得の絶対量が極端に低い場合は非貨幣経済においても、格差を解消する経済的なメカニズムが成立しているのかもしれない*4。
近代化以前に焼畑農耕の世界に格差社会がなかったかというと事実に反する。低い生産性と平等性が維持された農耕民・狩猟採集民の間の関係で環が閉じているわけではなく、ある程度の規模の王国が成立することも少なくはなかった。沈黙貿易のような外部社会との関係もある地域もあり、完全なクローズドな世界がないにもかかわらず、ある程度の低所得での平等性が保たれてきたのは一体何故なのか。問題は残っている。