進化論と相対主義

件の板東氏のエッセイが面白いことになっているのですが、いくつかのブログで進化論的に合理的とか、他文化主義はアレ過ぎるという論調がいくつかあって困る。
前者の進化論的にというのから、さらに進化の観点からとか言う人は最低で、おばかのレッテルを進呈したい。猫のように農耕文化が成立しないと家畜化されないような動物にわざわざ、遺伝的基盤を想定するのは流石に馬鹿な進化心理学者でもしない悪行である。もっとも進化心理学者は農耕以前の文化で有効な行動なら平気で「行動の遺伝子(はーと)」を想定して満足する輩なので、そのどうでもよい奴らより駄目な「進化的に合理的」仮説を言い散らす奴がいるのは竹内久美子より長谷川真理子の責任だよね、と思うのだがどうだろう。
もちろん遺伝的基盤が皆無と主張したいわけではないが、いくつかの文化で猫食いをするという事実を無視する事実誤認振りがどうしようもないと思っているだけだ。手頃に読めるところだとハリスの「食と文化の謎」をよんどけという感じ。もう少し専門的なところではアフリカの遊牧民研究者がかいた遊動民を読めば、ペットを愛し、屠殺して食べる人の気持ちが分かるだろう。進化を持ってくるとしたら、考えの打ち切りを行うストラテジーの存在か、そもそも考えきれないという能力の限界の方が妥当性が高い。それでも個別の問題は、個々の地域の個々の生き様の発生過程に大きく由来するのだが。
あと相対主義うざいというやつもメンドクサイ。自分でオレの頭は空っぽデス宣言はよくないだろ。自分の子供にそういうのは、どうせ無視される馬鹿異見なんだから気にしないが、他人に提示する自分についてはもう少し恥じらいを持て。相対主義を認めた上で暴論ふるのはまだかわいげがあるが、否定してしまったらエクスキューズの場がなくなる。
倫理の観点から言えば、しょせん板東氏みたいな特殊な思考の持ち主と議論するのは話し合いの上でしか通用しないのだから、ご近所の人が話すしかない。板東氏が駄目なのは、直接的に関係のない連中に、私は他人の倫理観を踏みにじってます(てへw)みたいなことを、隣人に言うのではなく、新聞という公共のメディアを使って、全然生活圏の違う人間に公開して悦に入っていることだと思った。

と流行に後れてコメント



食と文化の謎 (岩波現代文庫)

食と文化の謎 (岩波現代文庫)

遊動民(ノマッド)―アフリカの原野に生きる

遊動民(ノマッド)―アフリカの原野に生きる