出生数のこととか

 うまく言えないし、言うと変な話になるのだが、日本の中絶の高さは、子供や若い人の無意識を蚕食していると私は思う。子供はなんとなく身近な親や大人や社会から、無意識的に「お前を殺すかもしれなかったけどな…」というメッセージを受けているのだ。

 このあたりの感性は学者とかは持っているか、あるいは文学者は、…と言うまえに、私が狂人扱いされかねないので、言うにつまる。ので、ここまで。

 いや、一言だけ、大人の男が、子供に「お前が生きていることが俺は嬉しい。お前が生きるために俺は生きている」という無意識のメッセージを出さなくてはいけない。どう出すかというのは、基本的には生き様の問題なのでむずかしい。

こんなことを書くと当たり前のことを書くなとか言われそうだが*1、子供が生きていることに対する喜びを当人に対して発さなければならないのは、男ではなくて両親ともにしなくてはならいのではないだろうか。つまり女性もきちんとそれをしなくてはならないという意味で。なんというか男がしなければ、というのはナイーブな母性幻想に引きずられているのではないだろうかという感じがするので。
で、毎日の社説だが

厚生労働省の統計によると、03年度の人工妊娠中絶手術は31万9831件を数えた。出生者数の3分の1弱に相当し、実数は倍以上に上るとの声もある。表に出た数字でも県庁所在都市の人口に匹敵する命が、消えている現実は看過できない。大幅削減できれば、少子化問題も一気に解決する。

 多子家庭への育児・教育資金などの公的援助を手厚くすることも効果的だろうが、抜本的には人々の結婚観、子ども観を変えることが必要不可欠だ。たとえば、シングルマザーを異端視しない風潮が広がれば、子を産みたい女性は確実に増えるだろう。非嫡出子や養子に対する法律上、戸籍上の差別をなくすことでも同様だ。

(中略)

子どもは親の所有物とする発想が根強いことも大きな問題だ。諸外国と比べ母親によるえい児殺しが異常に多いことも、その表れだ。無理心中に子どもが巻き込まれるケースも目立つ。世間も「子どもだけ残されるのはかわいそう」と考えがちだ。そのせいか、一般に自分の子を殺した親に言い渡される判決は、他人を殺害した者に対するものより軽い。

なんというか避妊を全く考えずに出生数と中絶手術を比較するという荒技には驚いてしまったのだが、少子化問題と中絶って繋げていいのかよくわからない。この社説を書いた論説委員に欠けているのは中絶を選択したのはどの世代なのか、ということだろう。私が適当に予測すれば、高校生や大学生の子育て出来るような生活力を持たない世代のハズだ。いわゆるいい年こいた大人ならば、シングルマザーだろうが出来ちゃった結婚だろうがして産むはずであり、そういった年の人間はそれなりに避妊をきちんとしているものでもある。
去年何度も取り上げたオニババ本の著者の言うように、未成年者の子供は親が育てたら済む話というものでもない。日本は確かに母系主義的な伝統が残っている面もあるので、そういった社会に変わっていくことが今からでも遅くはないと言えるのかもしれないが、女性のライフコースをどう眺めても大学卒業後二年目くらいまで、つまり24くらいまで出産の予定が入り込むところがない。そういった意味では単純にシングルマザーでも良いではないかという風潮にするのは、それこそ経済優先の少子化対策であり、非常にキモチワルイ。
正直南米やアフリカみたいな家族観ならシングルマザーだろうが問題ないと思うんだけどねぇ。教育に対する意識とか考えると私の頭じゃもう無理ポ

上記をほぼ何も調べずに書いたのだが*2、ぐぐれば簡単に見つかるもので、人工妊娠中絶に関する資料とか、Dr.北村 ただ今診察中 第34話 10代の中絶率が減ったなんかが見つかるので、サボりすぎなエントリーだったことを反省。とりあえず、十代の中絶が多いという話は全面的に撤回するにしても、例えば四十代が三児め四児めで体力的に断念して中絶するとか、意外に30代に多いとか、いろいろ示唆的なデータがあるようでお気楽に考えてはいけないのかなと反省した。
ついでだが十代の中絶と出産に関して割合ではなく絶対数で見たいのだが、これは厚生省のデータを引っ張ってこないとないようなので後日に回そう。十代の倫理観とか教育観とかが見えてくるに違いない

*1:身近な人にはよくそれで怒られる

*2:言訳すると厚生省のサイトで中絶関連のデータを探したが見つからなかった