繁殖成功度

絶滅?に向かう日本人
カブトムシでasahi.comうぃ検索したらなぜかヒットしてきた珍妙な記事。どうも時期がきたら全部消すらしいので全文引用して総突っ込み

すべてのものは絶えず変化しています。今年も店頭にはカブトムシが並んでいますが、昨年いたカブトムシはすべて死んでいますので、その子孫が店頭に並んでいるのです。当たり前といえば当たり前ですが、子孫を残して死んでいくというサイクルを生物は遠い過去から繰り返してきたのです。このサイクルが止まり、子孫が絶えることを絶滅といいます。

昨年売ったカブトムシを繁殖させたのか?とまずいいたい。成虫になったらさっさと売り払ってるだろうが。というか店頭で売られているのを例に出す感性がいまいち理解できないのだが。

絶滅を避けるため、すなわち子孫を増やすために、すべての生物は進化しています。その進化の方向性を決めるのが環境だと、以前お話をしたと思います。この進化を語るときに、恐竜の絶滅など遠い過去をみて考えることが多いのですが、今現在もすべての生物は環境に対応すべく進化しています。

人間が自然環境を破壊し、多くの生物が絶滅していますが、それは我々自身にも大きな影響を与えています。前述しましたが、生物は、次の世代に子孫を残すこと、すなわち自身の遺伝子を残すために生きているのです。産卵を終え死んでいくサケや、交尾産卵のためだけに成虫になるカゲロウなどは、その典型例です。生物にとって、子孫を残すというのは、自分の命より大切なことなのです。

ここで挙げられた例から繁殖が個々の生物にとって大切かどうかはわからないと思う。つーか安易に重要とかいっていいのかいな。ついでに子孫を作るように出来ていると解釈できるような構造をしているというのが適切であり、別に生命は繁殖マシーンではない。現存の生命を設計したのは神ではなく、あたかも盲目の時計職人のごとき自然淘汰という作用にすぎない。

体は死にますが、子孫が絶えなければ、自分の遺伝子は永遠に生き続けるのです。しかし、よく考えるとその遺伝子も自分のものではなく、先祖から受け継いでいるだけのものだとも言えます。そう思ってみると、生物の体というものは、遺伝子自身が次の世代に生き続けるために作られた、遺伝子の乗り物なのかも知れません。

正直にドーキンスの名前出せばいいのに。もしくはすなおに先祖崇拝的な態度を露骨にすれば良いところを、遺伝子を持ち出すから私のようなひねくれ者の的になるわけだが。

近年、日本の人口は減少しています。動物でいえば、繁殖力の低下です。環境に適合していない動物は絶滅していきますので、生物で最も大切な繁殖を行わなくなった日本人は、絶滅に向かっているのかもしれません。今の日本は、日本人が作り上げたものですが、人口が減少しているという事実を考えれば、日本人にとっていい環境ではないのだと思います。

世界的にも、先進国では、そのほとんどが人口減少に悩んでいます。便利さを求め、豊かさを求め、工業化されたこれら先進国に住む人々の人口が減少するというのは、皮肉なものです。環境に合わせて進化してきた動物、環境を変える力を持った人類、今の人類の進化は、人類に幸をもたらさない方向に進んでいるのかもしれません。

(山根動物病院 高島一昭院長)

やはり最後の二文が最大のポイント。一般的に無尾猿の中で人は多産的なr戦略をとるとされている。チンパンジーやゴリラに比べ人は子殺しの危機が大きいからかもしれない。そこから考える場合は先進諸国は子殺しの危機が小さいから、生涯出産数が小さくても良いという話にするのが、ヴァン・シャイク的な話なのだが。普通こういう話はいまいち政治的に救いのない話になる上に、優生学的な話になりがちな危機感から 押さえるのが常道なのですが朝日はそこら辺を全く考慮せずに少子化=悪という話にしようと頑張りすぎた感じがする。
スタンダード 反社会学講座を読んで出直した方がよいのではないだろうか?

ちなみに検索したかったのはgoogle:カブトムシ おじさんについてでした