続・ジェンダーフリー

対人心理学の視点isbn:4892426873を図書館から借りてきてぱらぱらとめくる。12章の「仲間だから許せない」大石千歳と、13章「女性がリーダーになる」Tin Tin Htun、16章「男女平等を求める」宇井美代子がジェンダーフリー問題について関連性がありそうなのでちょっと読んでみた。

12章「仲間だから許せない」

父権復活論者がなぜあんなに男、男言うのかわからなかったが(これは私の問題か)ステレオタイプと内集団びいきで理解されるのかと膝を打つ。該当箇所引用するとこういうことになる

自分の集団(内集団)の仲間に関してはたくさんの情報が入手でき*1、非常に優れた人から劣った人までいるように思える。その上、仲間についてはあれこれ考える機会が多いため、極端な構成員と劣った成員の評価の差に関しては極端になると考えられる*2。一方よその集団*3はの成員に関する情報はなかなか入手できない上、じっくり考える機会もないので、外集団の人はみな同じように見える、すなわち評価は中庸*4になりそうである。

うーんなるほど。おじさんたちは自分たちを男性集団として捉えてしまったことに悲劇があったのか。そして父権のありかを外での仕事でしか捉えられなくなったことがさらなる悲劇を生んだのね*5
もちろん、ジェンダーフリー派の教育論もおかしい所はある。例えば、全て同じ教育を施せば良いというのもおかしい。生物学的性差がただただ取り残されるだけなので、むしろ欠点を克服するような別メニューを選択肢にいれるか、逆に性差は肯定的に長所を伸ばすような教育をすべきだと考えるべきだ。でなければ、結局男だから、女だからと甘えた構造が残ってしまうと思う。
それにしてもなんて乱文

*1:もちろん自集団とは父権復活論者であり、情報もこの中で手に入れられる

*2:つまり、自集団を均質な集団と理解してしまう

*3:もちろん女性

*4:つまりとるに足らないもの、家庭にいるべき存在

*5:超話が飛んでるけど気にしない