サル学と社会

知り合いに面白い面白いと聞かされていた、2007年の霊長類学会大会の自由集会の発表をとりまとめた論文集が出たので取り寄せて読んでみた。(霊長類研究vol24 No2 特集「社会の学としての霊長類学」)*1

ラインナップは、人類学者(ブッシュマンとアフリカ遊牧民)の北村光二、チンパンジー学者の西江仁徳、社会生態学の中川尚史の原著論文に対し、D・S・スプレイグ、室山泰之、曽我亭、森明雄、足立薫、伊藤詞子、藪田慎司がコメント、及び論文著者による返答というスタイル。日本の科学雑誌では珍しい。

北村・西江はあまり明示していないが、ルーマンの二重偶侑性を下敷きにしていて、それを実際の観察データを示しながら、社会というものをさぐるというスタイル。中川は基本的に社会生態学における友達関係の総説から出発して、それだけでは示されないものがあるからこそ外れ値を記録することで社会を描写していく必要がある、とするスタイル。中川論文はまだまだ少ない遺伝的可塑性の文献としてもこれから評価されていくだろう。

特に気になったのは、室山による西江批判である。室山は西江の分析を「積極的な擬人主義の採用による事象の解釈に過ぎない」とし、「行動学的な立場からも十分説明可能である」とオルタナティブを提示している。しかもこのオルタナティブ西江の「行為を常に状況に埋め込まれたものとして、個々の事例に着目してその都度の局所的な状況を参照しつつ分析を進める」アプローチを肯定した上での批判である。私には西江の解釈自体は、不当なレベルでの擬人主義*2とは思えなかったので、純粋に室山の行動学的解釈に興味がある。

また、室山が北村が提示した事例を表象的な類似に着目しただけに過ぎず、創造的対処の積極的な証拠に乏しく、確立論的な振る舞いによっても理解可能ではないのかというのは、佐藤俊樹がDKが広く存在することを認めた上で、DKを社会的なものとすることに慎重であることと比較すると興味深い。

これから何度も引用されるかもしれない論文を見つけた喜びがここにある。

*1:第二回社会の学としての霊長類学も2008年に行われた

*2:例えば第一位の雄をリーダーやボスと呼称したり、順位や血縁関係を制度と見なすような