儀礼って何だろう 1

今村仁司さんが亡くなった。合掌。
というわけで彼の遺稿とも言える儀礼オントロギー積ん読の山から引っ張り出して追悼読書。彼の論文を読むのは、『社会空間の人類学』に納められている「社会空間の概念」以来久方ぶりだ。
なお儀礼本における息子さんと親父さんの書き込みの割合は後書きによると、

さて、本書が共同著作であることに少々触れておきたい。本書の基本的着想は今村真介(近代フランス社会思想史)から出た。彼の着眼の骨子は彼の著作『王権の修辞学』のなかにほぼ出そろっている。これを読み興味をそそられた今村仁司(社会哲学)が「儀礼的実践」と儀礼装置という言葉を概念へと練り上げる仕事を担当した。著作のイニシアティブは言うまでもなく今村真介であるが、前編にわたって相互討論による共同制作である。
二人の著者の大まかな分担責任を以下に示しておきたい。
今村真介 第一、二、三章。第四章の一部、第五章の一部、第六章の前半。
今村仁司 第六章の後半部と第七章。第一章から五章までの概念的記述の補充と付加および文章と語彙の統一作業。

とある。ほとんど今村真介著監修仁司と言った感じで、なんだか息子の考えを後押しするために書かれたような気がしなくもない。
ちなみに詳細目次は以下の通り

  • 第1章 社会を再生産する「儀礼的実践」
    1. 儀礼なしに社会と国家は存続するのか
    2. 政治思想における儀礼論の不在
    3. 儀礼的実践」の概念を目指して
    4. 人類学者たちの儀礼概念
    5. 無意識的な世界解釈図式  社会生産の条件
  • 第2章 狩猟採集社会に儀礼はあるか
    1. ブッシュマンの流動的な社会編成
    2. ムブティの安定した集団編成
    3. ブッシュマン社会における「儀礼的実践」
    4. ムブティ社会における「儀礼的実践」
    5. 儀礼的実践」と行動の定型化
    6. 狩猟採集民の宗教感情と儀礼
  • 第3章 首長制社会の再生産装置
    1. 権力なき首長制
    2. ドメスティケイションと社会の形態変化
    3. 分散化傾向をもつトングウェ社会
    4. トラジャ社会の演劇的儀礼
    5. 構造としての「儀礼的実践」
  • 第4章 神聖王権と国家の本質
    1. 首長制と神聖王権
    2. 聖なる王の外部性
    3. 犠牲者としての王
    4. 首長と王
  • 第5章 古代的国家儀礼
    1. インドネシア・バリ島の王権儀礼
    2. 古代ギリシア儀礼  公共奉仕と演劇
    3. 古代ローマ儀礼  贈り物と競技会
    4. ビザンツ国家と儀礼  民衆を巻き込むイベント
  • 第6章 初期近代国家=絶対主義時代と儀礼
    1. 絶対主義  社会的結合関係のブリコラージュ
    2. 独自の王権維持的儀礼大系
    3. 法律家知識人が進める中央集権化
    4. 初期近代社会の再生産構造  社会的人間は君主一般を要求する
    5. 王権の演劇的表象システム
    6. 儀礼装置としての祭祀王
  • 第7章 近現代国家と儀礼
    1. 規律訓練する国家の登場
    2. 国家のイデオロギー装置と「儀礼的実践」

まぁ盛りだくさんといった内容になっている。後書きを読む限り、追悼読書は7章だけでよさそうだけど、ちらっと見た感じ様々な社会を扱っている前半も面白そうだ。


儀礼とは何かという問題について、当面の私の理解は

  • 動物(当然人間も含む)のコミュニケーション的行為のうち、参加者はその遂行によって、参加者間のゼマンティックの共有が確認される行為
  • 意味論の確認は、組織の継続を阻害する複雑性を縮減され親密さが増す。
  • 逆に非組織的な関係は、「儀礼的ではない行為」によってゼマンティックの共有が確認され、親密さが増す
  • 親密さが増すというのは、コミュニケーションの継続を容易にするということ
  • 儀礼的ではない行為」は非組織的な関係の拡大(非組織の組織化)を通して、儀礼化するというパラドックスを内包する

と言った辺りである
以上の見解は洗練されているとは言い難い。組織やコミュニケーションについての理解が曖昧すぎるのが問題だろう。
読了した時にどのような議論になるのか楽しみだ。

儀礼のオントロギー  人間社会を再生産するもの

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王権の修辞学 (講談社選書メチエ)

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