資料はどこ?

昨日飲み屋にてうだうだ議論していたのだが、小児愛好者および性犯罪者の再犯率が高いという話の根拠となる資料が見つからない。見つかるのは殊更性犯罪の再犯率が高いわけではなく、むしろ低いのではないかという資料ばかり。
低いことは望ましいのだが、いわゆるミーガン法肯定論者の気持ちも分かるし、隣に前科者がいたらキモイので、なんで社会全体を監視システムとする法律が成立出来たのかがよくわからないのでどなたか教えて下さい。きっかけではなくて根拠の話に限りますが。ていうかただのロビー活動?

ミーガン法肯定論者の言う「子供や女性といった弱者は自分を守ることが出来ない」「被害者が犯罪被害を被った事実はなくせない」「加害者に人権はない」というのはごもっともで、「子供の被害を成人の被害よりも大きく見積もることは法の下の平等という精神に反する」*1といういわゆる人権屋の意見も反吐が出るのだが、問題ってそんなこと?という疑念をぬぐい去ることが出来ない。

「知っていれば我が子は犯罪に巻き込まれなかった」というのは実は全然犯罪の抑止とは別ごとで、また被害者の属性に応じて刑罰の軽重を変えようという主張は確かに人権論的にはおかしな話なのだけれど、両派とも全体的に重くしろと言う論理を見たことがない。大人が被害者である場合の刑罰の量って妥当なのだろうか。それとも刑罰を変えることによって大人の被害を増やすことになったらどうするのとかは考えなくても良いのだろうか。

繰り返すが大切なのは被害者を可能な限り減らすことのハズだったのではないだろうか。前述したように性犯罪は再犯率が高い犯罪ではないようだが、ミーガン法によって再犯率の抑制が期待出来るのだったら肯定派は主張を変えなくても良いことになると考えられる。であるならば、否定派は「再犯率の低下」神話説を主張しないことには肯定派を説得出来ないだろう。

で、さらに問題なのだが「親としてキモイは前科者の近所に住みたくない。これ当たり前。だから情報公開しろ」といった主張の場合どうなんだろう。これは純粋に感情論でリアルに説得力がある以上議論じゃなくて話し合いレベルの問題なのだが、例えばこのような反論は可能ではないか。つまり「再犯率が低下しない場合、公開によって引き起こされる犯罪は誰の責任になるのか。自分の子を守るために必要であるとするならば、他人の子に起きる被害の許容をその論理に内包するのは、親の論理とは矛盾しないにしても、ミーガン法否定派における非公開によって生じた犯罪の許容の論理と同じになることに対する無自覚ではないのか」というのはあり得るのだろうか。
それにしても自分でも卑怯な理屈だと思うな。上のは。

再犯性についての議論

上のようなことを書きながら法務省が試算したのを発見。

しかし、警察庁からは統計数値がないということでなかなか説明を
いただけなかった性犯罪者の「再犯性」の問題だが、法務省は犯罪
者の同罪種による刑務所への「再入所の割合」という指数でこの
「再犯性」に関わる数値を示してくれた。
それによると、性犯罪者受刑者が性犯罪で再入所した割合(再入率
という)は7.2%、それ以外のたとえば窃盗など他の罪種での再
入率は23.7%である。全受刑者の再入率は32.9%であるか
ら、性犯罪者の再犯性はこのデータからは簡単に結論付けることは
できない。

強姦の再入状況を見ると刑務所って意外に性犯罪者にとって教育効果あるんだってことなのだが、ミーガン法肯定派を説得する根拠になるのか不明。なにしろ肯定派にとって大切なのは自分の安全である。7.2%再犯するという理屈にもなるのだ。
まあ90%が再生しないというのはおかしい、きちんとした治療プログラムを受けた者は、5%のみが再生しておらず、ミーガン法よりも、そうした治療プログラムを受けさせることの方が大切である。というのもそれなりに根拠がありそうだ。
どっちにしろどんな犯罪の芽も取除かないといけないというのが肯定派の理屈なので、役立たずな根拠かもしれないが。

またロリ属性についてだが保険会社の調査がおもしろい。それによると14歳以下に対する性的欲情の発露は成年男子にとって極めて正常な反応。それを具体的な行為に伴う犯罪に昇華させる率は、その人の性行為の多い少ないにかかわらず一定の割合必ず存在し、同様に所得や学歴、家族構成といった属人性による関連付けはできないらしい。特に日本人はロリータ趣味とは言えなくとも若い女性が好きという傾向は否定しがたいようだ。これは日本人の性的な成長が遅いことを反映している
それにしてもロリ情報の氾濫はロリを増やす一方、ロリ犯罪予備軍のガス抜きにもなるやもしれないという微妙な結論は致し方ない。ロリ情報の作成における犯罪は別だが世の中そんなもんだろう。

実際の所加害者の人権は別にしても

  • 再犯率はどうなのか
  • ミーガン法の犯罪に対する抑制効果はどうなのか
  • 社会におけるメリッとデメリットの比較

の三点をトータルで論じた上で議論を進めて欲しいものである。特に性犯罪の再犯率の問題は、教育の効果や治療プログラムについての意義も併せて議論しないといけない。
もちろん再犯率自体はどうでも良くて、抑制効果のみを論じる人もいるだろうし、性犯罪はおいておくにしても再犯性の高い犯罪から法律を導入したらという人もいておかしくない。

プラスの面

ミーガン法によって成果があったという立場の報告もあるので合わせて併記する。

  • ミーガン法以前は、たとえ、リトルリーグのコーチが性犯罪者であっても、それを知らせることはできなかった。それが、96年10月1日以後、名前、写真、犯罪などを知らせることができるようになった。
  • そのために、サクラメントでは、プールで子どもと遊んでいる男が、猥褻行為で有罪だったので、親たちに知らせた。また、男は登録していなかったので、6年の刑を受けた。サンベルナディオでは、ハイリスクの男が、リトルリーグに関わっていた。登録してなかったので、同様に実刑を受けた。
  • ピザの配達やさん、学校のボランティア等の事例もある。
  • 学校から帰宅途中の女の子が、車の男に誘われたが、チラシの男だと分かったので断り、後で確認された。男は逮捕されたという事例も報告されている。

上の引用は読みにくいけどまる写しなので勘弁して欲しい。それにしてもこの論文の著者はもう少し説得力のある例を挙げてくれたらいいと思うのだが。

制裁としてのミーガン法

制裁としてのミーガン法について議論したい。
いわゆる犯罪者の人権否定という形で議論されることが多く、犯罪者はその罪を一生償い続けなくてはならなく、それには世間から冷たくされることも含まれると言ったように。
なんだか制裁を実行する社会は犯罪者が少ないという楽観主義と言えるのだけれど、主張者はあまりそこに気付いていていないようだ。そもそも制裁が黙認されている社会はそもそも犯罪自体が現在に比べてべらぼうに高いことが多いので、妥当な枠組みで議論出来るかどうか怪しい。
この手の制裁に対する憧れというのはある種愛憎にたいするそれと似ている気がする。つまり親密な関係があるところの裏側に裏切り者に対する激烈な非寛容があるのと同じく、実際に情の深い人間と情の深い関係に憧れるタイプが推進者であるようだ。良く言われるように否定派が私のような独身者である*2のも同じ構造なのかもしれない。

正直火炙りをしたいというのなら議論しなくても良い気がするのだけどね。防犯思想にもとづき人権侵害もやむなしと制裁の導入を支持しているのか、人権を認めたくない相手を制裁したいだけなのかが不明瞭なのだ。
そういえば犯罪者の人権はないという言い方は自分自身の人権はあるということなのだと思うのだが、自分の人権は要らないから制裁させろとはあまり言わないよね。

*1:あまりにも話し合いのテクニックに欠けるな

*2:一般化していいかは不明だけど