アフリカ人は利己的か?

山形浩生 の「経済のトリセツ」  Supported by WindowsLiveJournal - アフリカのエイズの新しい分析……それと経済学の何たるか。を読んでいて、最近はethologyをeconomyと言うのかねぇと思ったのだが、やぱりeconomyと言うことにしといたらと思った。生粋の動物行動学徒なら行動連鎖の構成の分析に血道をあげて、最適戦略(合理性)であるなんてお手軽な結論に飛びつけない。ecologyにしても、母子感染が問題視されているアフリカで適応的とか言えるわけがないしね。
というわけでアフリカにおけるエイズの蔓延について、ある程度分析してみる。

  • 宗教的な制約(キリスト教徒、イスラム教徒とも)が存在しつつも、行動規範としての純血志向が乏しい
  • 同性愛ではなく異性愛に基づく蔓延
  • 教育効果がいまいち(識字率が低いなど)
  • コンドームが普及しない行動規範
  • 行動半径の性差
  • 迷信:処女との性交がエイズに対する治療儀礼(一部の国)

ただ、世界・刑罰と差別に耐えるアフリカの同性愛者を読む限り、それなりに同性愛者はいそうだ。

 こうした差別のおかげで、同性愛者はさまざまな社会サービスを受けられない傾向にある。とりわけ、HIV/AIDSに感染する危険性の高い男性同性愛者の状況は深刻だ。

強調部分(強調は私)はアフリカの問題というより欧米のだろと思うが(アフリカのAIDS患者の男女比は1:1、欧米は10:1)。
まとめると、男性が都会に出稼ぎをし、病気を田舎に持ち帰えり、婚外性交渉も行われ、その際にコンドームを利用しないためにさらに広がる。識字率が低いために、メディア利用がままならなく、予防的な行動をとりにくい。

 もっともこれは従来から言われている事に過ぎない。
 山形氏はこれに対してこれは、よく考えてみると、アフリカ人たちはバカだからエイズになる、と言っているに等しい。と反論する。別にかれらが避妊しないのは、バカだからでもなく貧乏でコンドームが買えないからでもなく、たくさん子供をつくることに合理性があるからなのだ、と。
夫婦間ならそれでいいかもしれない。あっちの子供達はよく働く家計の担い手だから。学童のように仕事が免除されない。
isbn:4622018322
 しかし、旦那が種なしなら女性がゴムなしを許容するのも合理的と言えるかもしれないけど、浮気相手とゴムなしでして感染することになんの合理性があるのだろうか。しかも多くの人の性器粘膜がふつうの性病でただれているのに対して、女性はゴムを要求しないのだろうか?
 そこで私が先に挙げた識字率の低さが出てくる。アフリカでは女性の識字率はさらに低い。ラジオ放送などで性病についての知識を知ることもあるかもしれないが、残念ながらラジオを所有しているのは男性である。マスメディアに対する接触すら性差があるのだ。
 実はアフリカ人でも、所得が多くて余命が長い人々はちゃんとエイズの予防措置も積極的にやっている。余命が短いところは、そういうことに関心がない。これこそ教育の重要性を示唆していないだろうか?と同時に疑念として、ちゃんと余命が、死亡までの期待値として算出されているのだろうか?もし平均寿命との差ならば、結局HIVや他の感染症による幼児死亡率のバイアスが再生産されるだけだと思うが。
 以上のことから、アフリカ人は手持ちの条件の中でHIVの蔓延よりも、子供を作ることが合理的である、という議論の正当性に関して非常に疑わしい。女性に対する視線、例えば男性にコンドームの着用を求めることができるのか、処女に対する迷信等がごっそり抜けた妙にマッチョな議論であることの自覚に乏しすぎる。

 とまぁいろいろ疑問の残る問題提起であるが、興味深い指摘もある。疫学的に他の感染症、淋病や梅毒に対する治療が有効ならば、HIVの夫婦間感染、母子間感染を下げることが出来そうだ。ただそれはアスピリンと、ペニシリンなどの抗生剤が二、三種類しかない現状に、只でさえ薬を服用しすぎのあの地域に耐性菌を増やすことになりそうで憂鬱ではあるのだが。