浮気と不倫と乱交
FIFTH EDITION: 「浮気の生物的必然性」@きまぐれ連載コラム「DNA恋愛論」
FIFTH EDITION: 「子殺しと結婚」@気まぐれ連載コラム第二回
を読んで。
Y染色体ネタで復活した感のある竹内久美子系妄説と言ってしまえばそれまでなのだが、日本の誇る義務教育レベルの理科教育は進化学や行動生態学についてなにも教えないことを考えると、このような亜流の理解が幅をきかせるのも仕方ないのかもしれない。
「どのような仕組みで進化がおき、群が動態しているのかについて、生物学ではどのように扱うか普通の教育では知り得ない現状があり、もし知りたいと望むのならたいていは独学にたよることになる」と、どうしてもいわゆる大学の講義で使う教科書*1ではなく、今は有象無象の新書群に手を出してしまうのが世の常だ。
けれども学者の新書でも、同門の専門家から見るとよくて良心的(5厘)、普通はふかしか法螺(8割)、電波か嘘か説教(残り)という感じになるので、参考としては怪しげである。
もし、専門家の書いたまとまった本が読みたいと思うのならば、県立図書館か大きな市の中央図書館から借りて読んだほうがいい。近くの分室からでも取り寄せることもできるのだし。また思い切って大学の図書館を訪れてみるとよいだろう。
何しろ専門書は高い。買えない時こそ図書館を頼るべき。ベストセラーはブックオフ。
さて建前はそこそこに、内容の批判をしてみる。
まずは建前の部分について
そういう観点から、今回のコラムは進めるので「愛」という言葉に神聖かる不可侵なイメージをもつ人は、不快になるかもしれないので読まないほうがいいかもしれない。
このコラムでは、愛という言葉は、生物的、あるいは人類学的観点から「子孫を残そうとする人間の本能」から派生した二次的なものという位置付けを行う。
神聖かつ不可侵なものではない。子孫を作り、種の保存をするために人間に備わった自然の本能であるとする。
人類学的に使いフルされた言い回しをするならば人類は「裸のサル」にすぎないからだ。受け入れれない人も多いんじゃないかと思うし。
まずは冒頭から。そもそも「愛」自体に仏教的な慈愛とか、キリスト教的な「友愛」、近代的な親子愛なんて意味がたいていの場合込められているので、普通ポストモダン的にかっこ付けするか、別の単語を使うべきだと思われる。もし、使いたいのなら不快な人は、とか言わずに真正面から議論して、いわゆる愛の偽善的な正体を暴くみたいなスタイルもかっこいいだろう。疲れそうだが。
もしくは単純に、性行動、繁殖行為、生殖、配偶形態とかその手のナマモノ学的用語は事欠かないので具体的に書けばいい。ちなみに子孫を残そうとする人間の本能
がそもそも人類学の概念としての存在が疑わしいとか、前提が怪しいのは問題にしません。使っている人がいるかもしれないし、検証すればすむことだから。
そこら辺を考慮していわゆる性行動を分析していくと
- 繁殖につながる行為
- コミュニティもしくは個体間関係の一形態の維持に関わる儀礼的な行動
- 性的な遊び(性器を介したモノ遊び、社会的遊び)
- etc
からなっていることがわかる。もう少し厳密に分類した方がよいのかもしれないが、少なくとも繁殖に関わることだけが性行動だけではないことを分かっていただきたい。操作的に愛を「子孫を残そうとする人間の本能」
としなくても、愛に迫れそうな気がしてきませんか?
そもそも「子孫を残そうとする本能」というのはDNAの機能(性質の方がよいか)「自己複製」の擬人的な表現なので、人類学も生物学も使わない。
ちなみに本能と言う言葉自体行動学の分野では使えない表現で、生まれか育ちかという論争は既にどの程度、学習が必要かという議論に移行していることを頭の片隅に置いといてもらいたい。これに種の保存とかついたらモヒカン族が斧投げます。もっといえばDNA決定論を振りかざして種の保存はまずい。一連のエントリーの最大の癌。
あとかなりどうでもよいけれど、服を着るっていうのはヒューマン・ユニバーサル*2なので、さすがにそろそろ裸のサルから卒業した方がよいかと思います。
以上が前置きに対するツッコミ。
さて議論に目を移す。なんとゆうか本から引用しているであろう事柄はともかく、微妙に例がおかしい。ずれている。
まず子殺しについて。食肉目と霊長目で頻繁にみられる行動なので、どっちかというと日本人が発見したハヌマンラングールの子殺しの方がいいのではないかとか、乳離れしていたらオスの子が選択的に殺されるとかも含めて。ハーレムならヒヒの方がよっぽどふさわしいとかもある。
また系統的に近いチンパンジー・ゴリラで子*3殺しが実際に確認されている。連れ子が殺されないことも多い。
でも無理して他の系統の子殺しを引っ張ってくるより、ヒトの例を出したらよいんじゃないだろうか。例えば連れ子で起きやすいとか、血生臭くない例だと養子は血縁者からとか、ほとんど同じ論理での行動と言えるのだけれど。
さてジェンダーバイアスの話はあまり興味が持てない。新味がないというか、女性も色々よとか父親を知っているのは女ばかりとかそれこそ何万年といわれ続けたことかわからないことなので、つーかこの前イギリスで父子判定の調査がでたはずだけれど。
系統を広げて、種を超えて持っている性質にしたい欲求はわからないこともないけれど。
とざっと見てきましたが、愛の中身=意味、結果としての生殖を分離できずに議論しているような気がしてなりません。
参考文献
このエントリーは記憶に基づいて書いたので、どの文章がどの本に対応しているか忘れましたが
- 作者: 西田利貞,上原重男
- 出版社/メーカー: 世界思想社
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- 作者: 西田利貞
- 出版社/メーカー: 京都大学学術出版会
- 発売日: 1999/10
- メディア: 単行本
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- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 1991/02/28
- メディア: 単行本
- 購入: 8人 クリック: 102回
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ここら辺は必読かな
進化心理学系の本は手持ちにはないのでパス。
で、実際何を読んで書いたんですか?